恩師の野球葬に参列

昨夜は、高校時代の野球部長、恩師の一人である山本政夫 先生の通夜でした。
戦後間もない頃から、高校野球の発展に寄与された方で、
東京都高野連副会長、日本高野連理事を歴任されました。

祭壇には、神宮球場と甲子園球場の大きなパネルが飾られ、
献花台には、名だたる野球名門校の名前が連なりました。

先般、全国制覇を果たされた、日大三高・小倉全由 監督の お姿も拝見いたしました。

山本先生は、僕が高3時に 60歳であられ、部長として最後にベンチ入りされた年でもありました。
技術的なことは ほとんど教わりませんでしたが、
「高校野球とは」
のような類は 徹底的に叩き込まれました。
「グランドでは常に全力疾走」 「大きな声で挨拶」 「グランドへ入退場する際の一礼」 「道具を大事にする」 「仲間を大事にする」 「野球が出来る事への感謝の気持ち」 などです。

『生活の中の野球を 3年間 全うする』
が、我が校・野球部の部訓でした。

高3の夏、青山学院・PS講堂での抽選会へ向かう前、一緒に喫茶店へ行きました。
高校生を喫茶店に連れて行っていいのかな? と思いましたが、
「喉乾いただろ、ソーダ水でも飲め」
と言っていただきました。
グランド外では、メチャメチャ優しかったです。

僕は、大学時代、審判員として連盟に お世話になっていたので、よく ご馳走になりました。
ハンバーグを注文したら、
「目玉焼きを乗っけろ」 とか、
水割りを注文したら、
「ヘネシーにしろ」 とか、
なんだか よく解からない 気をつかっていただきました。^^;

5月に見舞わせていただいた際は、非常にキツそうでいらっしゃいました。
そこから3ヶ月も生きられたのは、常々 「闘魂」 と仰っていた山本先生ならではの不屈の闘志だったと思います。

昨夜は、生憎の涙雨となりそうな空模様でした。
「雨でも試合はある、準備を怠るな」
と言われていたことを思い出しました。

親父に続き、恩師が逝きました。
42歳とは、そういう年齢なのかもしれません。

山本先生、どうもありがとうございました。
先生のような方から 野球を学べて、自分は幸せでした。
どうぞ ゆっくり休まれてください。


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