甲子園閉幕 と 夏の終わり

甲子園が終わりました。
終わってしまいました。

毎年のことですが、
「高校野球フリーク」というか、「高校野球キ〇ガイ」の私は、親友が何処か遠くへ転校してしまったような 一抹の寂しさを覚えます。

優勝は、圧倒的猛打の日大三高。
おめでとうございます。

吉永投手は、選抜時 甲子園で生観戦したときよりも、変化球とのコンビネーションが増えました。
春に、速球でグイグイいったところを 九共大打線に痛打された反省だったのかもしれません。

それにしても、昨今の高校生は、球が速くなっただけでなく、多彩な変化球を投げます。
また、それらを面白いように打つ選手も少なくありません。

僕が高校生の頃である 四半世紀前は、先日 逝去された伊良部投手が甲子園で147キロを投げたことが大きな話題となり、そのままロッテにドラフト1位指名されました。

140キロ前後のボールを投げるピッチャーは、豪速球投手の位置づけで、
また、変化球にしても、フォークボールを投げる投手は稀であり、
フォークを投げるピッチャーとなれば、漫画の世界でも大エースでしたね。
いわき東の緒方とか、土佐丸の犬神とか。^^;

今では、金沢の釜田投手が150キロを超え、福島聖光の堅田投手がスプリットを放り、吉永投手は、149キロに、シンカーだ、パームだ・・・ですからね。

それでも、高卒投手は、極一部の逸材を除き、プロでは すぐに通用しないのですから、野球のレベルも日進月歩なのでしょう。

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日大三高の名将・小倉監督。

10年で2度の全国制覇は素晴らしいの一語に尽きます。
前任の関東一高時代も含め、春夏甲子園出場16度とのこと。

現在 54歳。
将来は、間違いなく 「名伯楽」 の一人に数えられるのでしょうね。

小倉監督が、甲子園に初出場されることとなったのは26年前。
僕が高校1年の頃です。

我が母校というか、僕の在籍チームが、東東京大会のベスト16で、
第2シード「カンイチ」と対戦し、0-1と大善戦での惜敗でした。

僕は背番号18の雑用係で、チームに何ら貢献していないのですが、
当時、新聞にも大きく取り上げられたし、2級上の先輩達を初めて尊敬した瞬間でもありました。
そのまま関東一高は、日大一、帝京などを撃破して東東京の初代表となり、甲子園でも勢いに乗ってベスト8。

「熱闘甲子園」 などで見る当時28歳の小倉監督は、
「メチャメチャ おっかなそうな人」 でした。
関東一高は、すごく硬派な学校だったので、コワモテぶりが必要だったのかもしれません。

今は、ニコニコされて、すごく優しそうだし、三高の選手たちも 「尊敬できる人」 「親以上の存在」 などと申されるあたり、人心掌握術に長けた監督さんなのでしょうね。

小倉さんご自身が、三高の選手時代は、15番の控え選手だったそうですから、それでいて、新興の関東一高で実績を作られ、伝統ある母校に呼び戻されるようになるには、並大抵の努力ではなかったことが想像できます。

ご苦労をされた指導者というのは、ベンチ外の選手等のケアも上手いのでしょう。
三高のメンバー達は、スタンドの応援組との絆も凄く強いように感じました。
スタンド組が、夜を徹してデータ整理をしていたというエピソードが紹介され、
メンバー達も思いっきり意気に感じていましたからね。
こういった点も含めて、「最強のチーム」 だったのだと思います。


昨夏の決勝・興南 vs 東海大相模は、大学院の補講で観られませんでした。
ちなみに、春の決勝・興南 vs 日大三の日も補講でした。
たしか、その前年も・・・ ^^;
大一番に補講を ぶつけるのが大好きな主任教授でした。^^
親身なご指導、まことにありがとうございました。

そういった訳で、今年も甲子園閉幕です。
終わった途端、一気に涼しくなりました。
夏も終わりですね。
徳光さんも歩き易かったことでしょう。

さぁ、次は都市対抗です。。。


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